岩内線の駅について


小沢(こざわ)駅 開設=明治37年7月18日

小沢の地名はアイヌ語で「サク・ルブシベ」と言われていました。意味は「夏に越える沢道」だそうで、それを「夏小沢」と解釈して、さらに縮めて「小沢」となったものです。
小沢駅は函館本線から岩内線への分岐点で、昭和56年統計では1日平均70ー75%の乗車率だったといいます。

国富(くにとみ)駅 開設=大正2年9月21日

駅近くに国富鉱山があり銅を産出していました。硫酸と銅を精製しており、しばらく残っていた精製タンクも、今では取り除かれてしまっています。小樽方向に向かって少し離れた小高い場所には高い煙突が今もあります。鉱山産出品の輸送のために駅がつくられ、広いこの駅構内には国富鉱山の施設のための引き込み線もありました。駅名は鉱山の名前にちなんでいます。
 

幌似(ほろに)駅 開設=大正8年12月5日

幌似はアイヌ語の「ポロ.ナイ」から転訛したものと言われます。「ポロ・ナイ」の意味は「親なる川」だそうです。この地域を堀株川が縫って流れています。幌似駅は共和町の手によって現在も「幌似鉄道記念公園」として保存されています。

前田(まえだ)駅 開設=大正11年11月1日

明治16年、旧加賀藩主・前田利嗣が旧藩士79戸を引き連れこの地に開拓に入ったという歴史があります。そこから「前田」の地名がつきました

西前田(にしまえだ)駅 開設=昭和38年10月1日

前田駅と岩内駅の中間につくられたものです。昭和37年、岩内線が客貨分離され、客車が気動車となった翌年、旅客専用の無人駅として設置されました。

岩内(いわない)駅 開設=大正元年11月1日

この町の東南に通称硫黄山ともいわれる「イワウ・ヌプリ」があり、硫黄を産出しました。そこから流れる川をアイヌ後で「イワウ・ナイ」と言ったのではないか、あるいは「イワ・ナイ」(「山あいの川」の意)からきたのではないかと言われるのが地名の由来です。岩内線の終着駅として広いヤードを持ち、現在はその跡地に「道の駅」や「木田金次郎美術館」などが建っています。